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気仙茶聞き書きおまけ編~気仙のお茶っこ飲み民俗学~

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真っ赤の大根と生きたどじょう???-大根の年取り・恵比寿講-

◆「まっかの大根」と「生きたどじょう」を神棚に供える

米中仮設の集会場で、12月に、「まっかの大根」と「生きたどじょう」を神棚に供えた、というKさんのお話をお聞きしました。Kさんは、子供の頃は高田町大石という山手で育ったので、その時の思い出だそうです。

まっかの大根?真っ赤な大根のことですか???とお聞きしましたら、「赤い大根でねぐ、『まっか』、二股になっている大根だ」ということ!
それを、色っぽいことに、嫁ご大根、と呼んだりもするのだそうです、うふふ。

・まっかの大根(足出てるのね)それさ、どじょうすくってこ、って言われて、どじょうすくって、神様に母さんがど上げたったな。生きてるやつ。まっかは二股のこと。家は高田町の山(の方)。一中のそば。田んぼあって。かならず、二股の大根と、オスと、一緒に上げんだっけな。(Kさん)


ええ~??生きたどじょうを神棚に供える???大根とともに???
たくさんの?マークが浮かんできました。

それにしても、オスの大根!は、まっすぐな大根らしいです。
いわゆる、金精様的な。おお~

それを受けて、米崎町のMさんが、おうちでの経験を話してくれました。

・オエビス様のとき、エビス大根、ってね。十二月あたり、恵比寿様の日だかなんだか、二股の大根と、あとほら男大根と、神様さ上げた。御膳さ揃えて上げたもんだ。神棚でなく、シタメエ(下前)さ。そろえて上げたもんだでば。それさ浜のお魚上げた(Mさん)


お二人のお話しから、Mさんは浜が近いから浜の魚を、Kさんは山手なので、川の魚を供えたんでないかな、と推測も、同席の皆さんからは語られていました。
(そしてやっぱり、二股大根と、オスの大根・男大根はセットなわけですね)

気仙郡語彙集覧稿を引くと、まっか大根のことや、恵比寿講、大根の年取りについて、それぞれ書いています。これをみると、どうやら、12月20日の、魚を供える恵比寿講と、12月10日の、まっか大根を供える「大根の年取り」が、家庭によっては、時期が近いため一緒に行われたのではないか、と思われます。(続く)
# by kesencha-minzoku | 2015-03-03 16:59 | 年中行事

柿の「さし方」

◆さし柿・さわし柿/柿をさす・柿をさわす

さす・さわす、とは、渋をぬくこと。庄内などでも「さわす」というようで、古語由来という説もあります。

◆ぬるま湯で渋抜き

渋柿の渋を抜く方法として、今は焼酎を使うのが一般的だと思いますが、昔は、「ひと肌くらいのぬるま湯」に、柿と、特定の植物を入れて、一晩から一昼夜、漬けて置いたそうです。
「クドに羽釜をかけて湯をわかし、ぬるま湯にして使った。保温のために鍋を藁で囲っておいた。食べるときは、ぬるいくらい。冷たくはない。」とのことです。
ぬるま湯に柿と一緒に入れる植物は、蕎麦殻(そばの茎)、みょうがの葉やカキドオシ、カキズラ、スイカズラなどを使ったそうです。


今では、焼酎で渋抜きしますが、当時は焼酎は貴重なものだったのでしょうね。でも、身近な草で渋抜きができるとは驚きでした!そして、ぬるま湯で、ぬるまった甘い柿は、冷たい時より一層甘く感じられたのでしょうね。


◆塩水で渋抜き

海の近く(浜)に住む人は、海までコガ(樽)を持って行って、潮水を汲んで、その中に柿を入れて漬けて食べたとのこと。しょっぱいということはないそうです。
「漬け物のコガに、漬物と一緒に、烏帽子柿(小さくて尖った柿)を入れると、すぐに渋が抜けて食べられた。」と教えてくれた方もありました。


海水をこのように使うというのは、びっくりでした!そして、漬けた柿は、渋が抜けて甘いが、しょっぱくはないというのも不思議です。浜の人は、海水で、山の人は草で、と、それぞれの身近な自然を最大限に活用していたことに感じ入りました!
# by kesencha-minzoku | 2015-03-02 23:16 | お菓子・料理

気仙茶の聞き書き集のこぼれ話をご紹介します!

気仙茶の聞き書き集のこぼれ話をご紹介します!_c0357615_1850324.jpg
こんにちは。北限の茶を守る気仙茶の会の会員の前田千香子です。
現在、気仙茶の会では、「気仙茶の聞き書き集」を作成しています。

聞き書き集は、大きく

1 ロングインタビュー

会員が、自分の住む地域で、お茶づくりに詳しい人を探すなどしてインタビューしたほか、活動を通して知った方などに、会員有志で伺ってインタビューしたりしています。じっくりとお話を聞き、お茶のお話以外にいろいろ脱線したお話も含めて収録した、読み応え十分のコーナーです!

2 ミニインタビュー

各地でお茶づくりをしてきた方々にインタビューしたり、レポートしたり、寄稿してもらったりしています。コンパクトですが、お茶づくりのことなど、中身がつまったコーナーです!


3 お茶っこ飲み民俗学

会員・前田が、小野さん、佐藤と一緒に、地域の仮設住宅の集会場で気仙茶のお茶会を開き、そこで出た様々な話題を収録しています。普段話すことのない、昔の暮らしの貴重なお話を、多岐にわたり収録しています。

4 その他

気仙茶の歴史の概説や、会で手入れしている畑のご紹介をしたりしています。


で構成されています。


元々は、気仙地域での、昔のお茶づくり(60年前後まで遡ると、手づくりでお茶を作っていました)や、お茶の想い出などをお聞きしたいと思っていましたが、
実際にお話しをお聞きしていると、お茶のことだけでなく、お茶を手づくりしていた頃の暮らしのお話や習俗についても話題になり、それがとても興味深いことばかりでした。

聞き書き集に収録した豊富な話題の中から、このブログでは、会員・前田(岩手県内陸部雫石町在住の、お茶屋「焙茶工房しゃおしゃん」店主です。2005年から気仙地域に伺い、茶摘みをしてお茶づくりをしていたご縁があり、2012年からは北限の茶を守る気仙茶の会の事務局をしてきました。)が、一つ一つ、個人的な解説等加えながら、ご紹介していきたいなあと思っています。

気仙茶の会の活動を通して知ったことや考えたことではありますが、前田の個人的な感想や解説なので、会の公式ブログではなく、個人的ブログとして書いていきます。ご了解くださいませ。

年配の方々の貴重なお話、是非多くの方々にお読みいただき、お伝えしたいと思っています!
# by kesencha-minzoku | 2015-02-28 18:50 | このブログについて

聞き書きの持つ意味

地元会員の感じる深みは、私も含めて他所の人間には感じ取れないものだと思います。
それでも、他所の人間でも、気仙茶の聞き書き作業に関わった人にはきっと感じられたことがあります。
あるいは、他所の人間だからこそ、心に残ったこと・心動かされたことがあります。

聞き書きの、私自身にとっての意味-生身の私にとっての意味-というものを、考えざるを得ないのです。

今は失われた昔の暮らしの中にある、たくさんの、自然と共生して生きる知恵と技術。
行事を通して見える、共同体の人々のつながりの温かさ。

これらに心惹かれながら、一方で、当時の暮らしの苦しさ、厳しさに、私は耐えられるだろうか、いや無理だろう、と、自問自答もしています。

今の自分の生きる力、は、お年寄りの語り手の皆さんにはるかに及ばない、と思うのです。
おばあさんたちの力強い暮らしの話を聞きながら、自分の来し方を振り返り、地に足の付いた生き方をしたい、と強く思うのです。

また、お聞きしている昔の暮らし、がなくなったのが、わずか50~60年前に過ぎない、という事実や、昭和40年代~の、歴史上稀な数十年の経済成長期に、それまでの伝統的な暮らしや習俗が失われ、世の中が大きく変わったこと、に、改めて驚愕してしまいます。

この半世紀に起こった変化・・・
工業化や分業化によって、我々は、便利、快適な生活を得て、
地縁・血縁の共同体のしがらみから抜け出した個人の、自由を得ました。


一方で、私たちは
自然と共生しながら生き、自らの力でものを生み出す実感を失い、
温かい人とのつながりを失ったのだと思います。

ネットの掲示板だけにわずかなつながりを見出さなければ生きられない人もいるほどに、つながりを失っているのです。
そして、無力感に覆われ、自信がなく、不安を持ち続けているのではないでしょうか。

失ったのは、得たいものがあったから。
でも、今、私は満足でしょうか、このような社会を作り出して幸せでしょうか。

今の在り様を受け入れつつ、これから、どう生きたいのか、どういう社会でありたいのか、を、今一度、考えたい。

聞き書き集を手に取って読む人達の中にも、そのような思いを持った人がいるかもしれません。
その人にとっては、この気仙茶の聞き書き集は、たくさんの示唆を含んでいると思います。
# by kesencha-minzoku | 2015-01-01 17:19 | 気仙茶の聞き書きについて

地元会員の聞き書き

今回の気仙茶聞き書きプロジェクトで、よかったなあ、と思うところは、地元会員がほとんどの聞き書きに参加しているということです。

気仙地域を含む、沿岸被災地には、大学や研究機関を始め、たくさんの人が外から訪れて、震災体験を始めとした様々な分野の聞き書きをしていらっしゃいます。後世のために、今、記録しておかなければならない、という問題意識や、震災体験を聞くということそのものが、被災者の心の安定に資するという「傾聴」の考え方や、昔の話を聞く事で被災者-支援者という関係の固定化から脱し、語り手-聞き手、や、先生-生徒、という関係に逆転すること自体に意味があるという、民俗学者の六車由実さんの提唱する「介護民俗学」で挙げられている考え方も、多くの聞き書きの動機だったのではないかと思います。また、改めて地域の歴史・民俗を聞き書きでまとめることにより、地域の「自画像」というものを明確にし、未来の地域づくりの礎になれば、という意味合いもあったと思います。
私もそう思っていましたし、岩手県内陸部の雫石町に住む、「よそ者」である私が行う聞き書きは、そのような側面が大きかったと思います。

実際、被災している地元の人達自身には、聞き書きに時間を割く余裕は到底ない、という場合が多かったでしょうし、今でも、そんなことより他にやることがある、という考えの方々がたくさんいらっしゃると思います。

それでも、気仙茶の会の地元会員は、2012年の春から、生業とは全く関係ない「気仙茶文化の再生」に取り組むために集まってきていました。気仙茶は地元の気位であり誇りである、という思いからでした。
今回、聞き書き作業を行った会員の多くは、家を流された方であり、ご家族を失った方もあります。また、家や家族を失っていないという方であっても、この地に生きている限りは、親戚、友人など親しい人を失ったり、親しんだ場所を失い、心が引きちぎれる思いをしてきた人達ばかりです。
その人達が、気仙茶文化の再生に動き、自ら聞き書きを行っていることは、本当に特筆すべきことであり、最大の敬意を払うべきことだと思うのです。
そして、被災地の中でも、直接的・短時間で成果が出るような生業の再生ではなく、歴史と伝統のある気仙茶「文化」の再生・「誇り」の再発見に、これほどのエネルギーを注いでいる人々がいる、ということは、人がその土地に暮らすこと・生きるために必要なものは何か、あるいは、悲しみを背負いながらそこに生き続けるために大切なことは何か、ということを、改めて教えてくださっているように思います。

聞き書きの作業では、自分の住む集落の古老に、改めてお茶の話を取材したり、市内の、お茶づくりの思い出を持つ人々をリストアップして、手分けして聞きに行ったり、仮設住宅のお茶会に同行したり・・・という活動を、何か所も続けました。

よく知っている人でも、改めてお茶のこと、を聞いてまとめる、という作業は、新鮮な驚きがいろいろあったようですし、聞き書きをきっかけに、同じ市内でも初めて会えた人もいました。

それから、家で録音テープを聞きながらテープおこしをしていた会員に、訪ねてきた地元の友達が「何をやってるの?」と尋ねたそうです。「お年寄りから話を聞いてテープおこしをしているんだ」と答えると「ああ、それはいいことをしているね!まとまったら、欲しいなあ」と言われた、と喜んでおっしゃる方もいました。

地元会員は、もともと、お茶づくりに興味があって参加している人が多いのですが、お年寄りの話の中に、これからのお茶づくりにつながるヒントもいろいろと得て、「ああ、こうすればいいんだ!」「これもやってみよう!」と具体的なアイディアが浮かんでくることも多いようです。

ここが、手前味噌ではありますが、気仙茶の聞き書き活動のとてもよいところなのです。
普段の生活では決して語られることのなかった、お年寄りのお茶づくりの実践経験を、若い世代が聞き取り、それを単に記録するだけでなく、これからのお茶づくりやお茶の木の管理に実践していく・・・という循環が生まれます。聞き取り~お茶づくりの実践の中で、この地域のこと・ここに暮らすことが、一層の深み・力強さを増して感じられるのではないかと思うのです。

聞き書きの中には、今は亡き人、亡き物事が語られます。その場にいる人は、語られる中に確かに亡き人や物事が感じられることを知ります。語っている間は、その人が生きて、その物事がある、のですね。

気仙茶の聞き書きプロジェクトは、地元会員による、単なる記録ではなく実践につながるプロジェクトであり、関わる人自身に、意識の変容をもたらし、ここに暮らす深みや力強さを増していくもの、また、この作業を通じて、心の力になっていくものであったなら素晴らしいなあ、と思っています。

※地元会員の小野さんが書いた、聞き書き集の「あとがき」には、そのことが深く感じられると思います。是非お読みくださいね。
# by kesencha-minzoku | 2015-01-01 08:22 | 気仙茶の聞き書きについて